ものごころつくと、本が好きだった。
父系や妹にその気はなく。母系の伯父に少しその気があった。
家族の影響というより、幼少の頃から、日本地図パズルや「わたしたちの観察(小学低学年向けの科学雑誌・絶版)」などを与えられ、よく云うと、そこそこ賢く。悪く云うと、それが仇となり、大人からみると、小賢しい憎らしい小僧だったように思う。
家業は廃品回収のダンボールや新聞紙・雑誌・本を1m四方の正方形の塊にプレスして、十条製紙に卸す仕事をしていた。
アカ(銅)や鉄、アルミ、なども改修して再生する業者に卸していた。
40年ほど前の話、今考えると先端のエコな事業で、一時期は儲かっていたようだ。結果として長く続かなかったが。
小学校の高学年の頃は、放課後や夏、冬の休みによく手伝いをしていた。
参考書や小説は、買った記憶がない。超巨大な山となって、そこにあった。宝の山だ。それが目当てだった。
小学校の図書館で、世界児童全集や江戸川乱歩ものは全て、密かに読破していたが、圧倒的に山で自分で勝手に読んだ本の量が多い。
歳相応でないものが好きだった。
背伸びしていたわけではないし、将来、物書きに・・・など全く思っていない。土台、私が本を好きなことを知る人間や、読んだ本について、感想を語る人間は周辺には皆無だったから。
何故、と云われても困るのだが、10歳の頃の私は、谷崎潤一郎と北原白秋のファンで、殆ど読破していた。
もちろん、本質的な意味合いを理解したり、味わったりしていたわけではない。
やはり、一通りの児童向けの全集などなぞり、若干、物足りなさから背伸びし、一人、悦にいっていたのだろう。小賢しい・・・。
この小賢しさを証明する話は本人よりも、周辺の幼馴染がよく記憶していて、後年、逆に笑話し、昔話しとして聞かされた。本人より周辺の記憶の方が確かなところが人間の面白いところだ。
その中から、小賢しいお話を5つ。
■小学1年:教科書丸暗記事件 1学期で既に、国語の教科書をほとんど丸暗記していたらしい。「(犬の)しろ、しろ、みずたまりにうつるじぶんのかおをのぞきこんで、ぬれてしまうよ」などとそらんじて悦にいっていたらしい。生意気だ。
■小学1年: 「ちびくろサンボ」 最後は恐ろしいトラが木の周りをグルグル回って、バターになってしまうと云うほのぼのした幕切れ。皆が感動しているところに、「先生、気持ちは判ります。でも、物理的にトラはバターにはなりません」と言い放ち、皆も、「そーだ、そーだ、ブツリテキに嘘だ!」と目覚めさせ、担任の和田先生を辟易させる。憎らしい。
■小学2年:「かたあしダチョウのエルザ」 仲間を守るため、エルザはサバンナの大きな木になりました。・・・「物理的に・・・」と云いかけて担任の足立先生に1年の事件からか、「煩い!」と釘を刺される。尤もだ。
■小学3年:夏休みの自由研究で、「細雪」を全文、二百字詰め原稿用紙に写経(?)し、提出。 物議をかもす。卍や鍵、刺青でなくて、よかったと云うべきだ。何故なら、それらも好きでどれを題材にするか迷ったが、”長い”と云う理由で、細雪に。小賢しさが少し功を奏した。
そんなこんなで片腹痛く、小賢しく、成長し。中学生に。
■中学1年:授業参観にて。好きな詩を暗記し、そらで披露することが課題とされた。
迷わず、白秋を選んだ。しかも、既にそらんじていた。そのあまりの長さ、そして、大阪人の中でも早口でまくしたてた後、教室内がシーンと。母親が困ったような顔で突っ立っていた。
ご存知のように、この小賢しさ、片腹痛さ、は、おっさんの今も変っていない。困ったものだ。
白秋に敬意を表して。愛する件の詩をここに。
◆落葉松
一
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
四
からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
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