成りたろう 本 映画 切手 を語る: 2012

2012年12月25日火曜日

■ 伊集院さんの本




伊集院静が好きだ。

小説、作品が、というより・・・。もとい、「も」すきだが、その生き方に影響を受けている。

渋いとか無頼とか素敵とか云うのはなく。不器用さや優しさが嬉しい。「あ~、そうそう」「うん、あるある」と云う感覚。

最近、氏のエッセイとでもよぶべき本が週間書店ベスト10なんかに顔を出し、平積みされていると何だか淋しく想うのは、依怙地ファンの悪い感傷だろうと思う。

そんなわけで、昨今、文春時代(はちゃめちゃないい時代)からのフリークとしては、本の装丁に氏の写真が載ること自体、戸惑いの対象で、敬遠、忌むべきもの・・・のように手にとらずに過ごしてきた。

ところが、先日、本当に何となく手に取り、何となく買い求め、読んでいる。当然、心地いい気分に誘ってくれる。独特の優しさは健在でまずは安心する。

氏の本を読んでいて、自身の半生や、ここ1、2年を振り返ってみる。

想うに、とにかく、丸くなった。

歳をとったと云うべきか。

自身に戸惑うほどに、静かになったとしみじみ想う。

「断酒」のおかげ、せい、だと人は云うだろうし、それもなくはない。しかし、もっと根本的に変わった。酒飲み時代も日中までへべれけだったわけではなく、酒が体内になくとも、キレるときは、キレ、怒ること、しょっちゅうだった。

この文を仕事に勤しむ日中に書こうと思い立ったのも、先ほど、「丸くなったな~」とし~みじみ思い、その反省の深さを留めたいと思ったからだ。

場所は、市ヶ谷の超有名な麺どころ、「S」。

繁盛していて、店の衆もきびきび働いていて、心地よい。・・・ところが、席について暫し品が来ない。後に座った左右の客の品が出て食べ終わろうとしていたので、「未だなんだけど・・・」とおずおず云おうと思った矢先、引き取り手のいない麺がカウンターを右往左往。「それでもいいよ」と助け船を出すかどうか迷いつ・・・。「ちなみに、こっちも大丈夫?」と訊ねた。

そこで、「あ、スイマセン。(注文)飛んでました、すぐ作ります!」とくれば、むしろ、気持ちよく、「その(浮いている)注文、頂いても、そっちさえよければ、こっちはOKだよ」と自然とくちをつくところ。

さも、「忘れていません!」と云う体裁で作りに入った。こちらは学生時代4年も飲食店でバイトしていたので、店内の事情は透けて見える。可愛くないな、よくないな、とがっかりしてしまった。

以前の私なら、そもそも訊ねる前に、食券製にて、そのまま。後払いなら、当該金額を机上に置いて黙って店を出るようなヤツだった。

が、今日は、あっさりと、ちんまりと、更に数分待ち、“忘れられていた”麺が出るや、美味しく頂いて(本当に美味しいのです)、平和に店を辞した。

読んでいる皆さん、「ん、それだけ?」と云うでしょう。が、これ、当人にしたら、もの凄い大変化なんです。

なぜ、噴火しないのか、なぜ待てるのか、自分でも説明できない。

店のためにも、義憤し、怒鳴り散らすか、店を出るという抗議の意思をもって、諭すべきなのだ! しかし、それをせず、しずしずと、ともすれば、自分だけが良ければ、美味しければ良い。と云う体を貫いてしまった。

堕落だ。悪い大人だ・・・。

伊集院ワールドでは、存在しない、良くないことなのだ! と強く思うのであります。

人間はわかってゆくものです。

作風、価値観、なども、残念ながらそうでありましょう。

しかし、変わってはいけないもの。譲ってはいけないもの。はあると思うのです。

現実的に、社会的に考えてみて、大いに怒りましょう、キレましょう、というのも無理なお話でしょう。が、態度に出さなくとも、胸の中で逡巡、邂逅するべきだと思うのです。

そんな「大切な」こと、「些細な」ことを思い出させてくれるところが、伊集院さんの本のもっとも素晴らしいところなのだと思うのです。



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2012年12月17日月曜日

■ 考えるヒントを、「考えるヒント」で考える?!


衆議院選挙が終わった。実に、第45回という歴史の一ページは、前回とは違った、国の舵取りを意思表示して幕を閉じた。

個人的な感想を云わせてもらえば、個人的・直感的に、アンバランスでやりすぎ。しかし、一経営者・ビジネスマンの端くれの淡い期待としては、これで、保守王道、少し景気が戻ってくれまいか。

「本」に関するブログで、政治のことを語るつもりはなく。

この45回と云う歴史にそって、様々な時代、ドラマ、背景があり、脇役ながら折々の「時」の証言として、また、「本」も今に残っているのだろうと思う。


背景、世相、は違っても、本質は歴史や過去の書物、人物から学ぶことは多いこと、周知。

昭和~平成を生きた、知の巨人が今年は多く亡くなった。その先達、小林秀雄の「考えるヒント」を、想うところあり、再読した。

示唆に富んだ、また、どちらかと云うと我が道を行く、強い文体、意思表示は個人的に心地いい。また、文春文庫での、江藤淳の解説も素晴らしい。

前述、漠とした選挙結果と感想。また、あまりに低い投票率と云う国民の多くの意思表示と、民族としての稚拙さ、危うさ。かような時期に知識人の見識にひたることは決して無駄ではないと、いや、見えづらい、読みづらい、世の中だからこし、道しるべ、支え、として、かような本で語られている事の本質論は、いい「ヒント」として、効果、存在意義を増すのかもしれない。


少し硬派に語った小林について。
逆の想いが、毎度、私を覆う。

すなわち、依然として私の心の奥底にもつ、小林のイメージ=弱い印象と、力強い、孤高の文体、主義主張とのギャップの存在である。

私の持つ、氏のイメージは、ある人物の存在、眼を通してのものである。

自由奔放、社会人として破滅しているが人間として魅力的で、一部の宗教にも近い強烈な読者信者を惹きつけてやまない。

詩人・中原中也を通しての小林のイメージである。

無頼の文学者も、この変人の前には、相対的に常識人、普通の人、社会を気にする人、小さい人・・・に思えてしまう。

奪った、というべき女性、長谷川泰子を挟んで、むしろ、引け目、負い目のような想いを抱えているように見える。結局、始終、中原に振り回されても、「致し方なし」と諦め、受け入れざるを得ないような人間関係は、ともすれば、現在社会において、男女間と云わず、人間の力学的な構図において、参考になるように思えて仕方がない。

それは、決して、ドラマチック、ロマンティックなものではなく。

もっと不可解で、もっと本質的で、もっと厄介、ちんけなものとして、そこここに。


論題、争点が見えづらい、と云われた今回の選挙。

このような、人間の力学的、てこ的な力関係は、国民の心の中に、過去60年どっぷりと長すぎた歳月と、3.5年に凝縮された社会実験(概ね失敗)に何らかの作用を施したに過ぎず。

むしろ、それは、一人の女の意志や気持ちが、スッと別の男に渡っただけに過ぎない。茶飯なことのように思えてならない。

このような考える「ヒント」も、この「考えるヒント」の中には、そこかしこに見え隠れして興味深い。

年の瀬の総括。自身を取り巻く環境。次の戦略。来期・来年を考える際に、少し、深呼吸をして、この手の本を手にとることも決して無益ではないと考える。



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2012年12月13日木曜日

■ 侮れず! 子供向け図書




「絵本講座」の主催をお手伝いしています。

11月から3月まで、豪華講師陣のお話を末席できかせて頂き、お得感に感謝しつつ。

「絵本」自体の面白さ、素晴らしさ、奥の深さ、怖さ・・・は、また別の機会として。今回は、その講師のお一人、松田素子さんの本を、是非ご紹介させて下さい。

「ヤモリの指から不思議なテープ」アリス館
松田素子さん/江口絵里さん共著。西澤真樹子さんイラスト。石田秀輝さん監修。


何がいいって、読みやすくて面白い。小学高学年向けという感じですが、内容は、大人でも柔軟な方には十分にお奨めです。

テレビでクイズもの、一般常識ものがはやっていますが、まさに、そこに出そうな内容です。

例えば、標題の「ヤモリ」何でどこでも、逆さでも、ひっついて歩いてゆけるのか知ってますか? その解明とそこからヒントを得た科学者、識者が発明した暮らしの中で商品化、サービス化されているもの。まさに研究過渡期のものを具体的に説明してくれています。

子供はもちろん、大人の教養と科学(サイエンス)への入り口、興味を活性化するのに丁度いい難易度の本です。

物語もいいけど、こういう、本は、識者から素人への、大人から子供へのプレゼントとして、作る・残す価値があるな~、としみじみ感心しました。

すげーぞ、蜂、カワセミ、はこふぐ! 詳しくは、読んでください。出来れば、お子さんと声に出して。



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2012年12月10日月曜日

■ 病気と作家と個性

個人的な話で恐縮です。

ここ1ヶ月ほど、Blogをお休みしていました。

実は、帯状疱疹と云う大人の水疱瘡みたいな病気を撃退するべく、あれやこれや。ようやく、今日午前、ほぼ快復と医者に云われました。当面、傷痕の快癒と残る神経痛とのお付き合いです。

この間、相応に強い薬の影響もあり、中々仕事がはかどらず。プライベートでも安静優先の生活でした。

さて、過去にも病気と闘った作家が多々いますね。

晩年の正岡子規など、あまりに有名で、小説、ドラマ、映画などでご覧になった方も多いのでは。

瑣末な体調不良でも支障の出る、私のような軟弱者と違い、フィジカルな強さよりも、精神的な強さ、志の高さに感銘をうけます。こんなときなので、改めて凄さ、悲壮さを強く思う次第です。

そんな中でも、今回は、吉村昭を紹介したい。故人ですが、現代作家であり、私自身がフリークなので。

吉村さんは早くに両親を病気で亡くされ、自身も肋膜炎、肺浸潤で長く療養。結局、胸郭成型手術で左肋骨を5本切除されています。

この為、大学も中退、後遺症で長く苦しみます。
初期の作品は、どうしても、この現実と向き合う内容が多く、濃く。私小説としては習作時代から高い質を備えています。実際、芥川賞候補に幾度もあがっています。

余談ですが、カミサンも作家で、私の好きな、津村節子。こっちが、ノミネート一発目で芥川賞を受賞してしまう(その前に直木賞3回ノミネート歴あり)。吉村さんは両賞を受賞していません(後に太宰賞受賞で文壇に)。

この時期の氏の生き方や作品も強烈な、重い、「個性」です。

が、ようやく、成人し容態が落ち着いてからが、真の「(第2?!)個性」が目覚めるわけです。

綿密な気の遠くなるような取材を基に、「記録文学」「ドキュメンタリー文学」とも云うべきジャンルを作ってしまう。歴史小説ではない、ノンフョクションでもない。個性を新ジャンルにまで昇華させてしまうのです。

それは、作風の激変にも明らかで。

想うに、自身の幼少期から、動くに動けない不安や鬱憤、隣り合う「死」への恐怖から解放され、自由になった自らの「足」で動き、取材できることは、ともすれば、苦労ではなく、生への確認、喜びだったのではないでしょうか。

水を得た魚・・・とはあまりに手垢のついた表現で恐縮。ですが、まさにそのような運動・行動の成果である情報が確かな筆力と結びついて、それは、「文学」になったのだと思うのです。

とにかく、面白いので、読んでください。推薦図書は、数多ありますが、「戦艦武蔵」「高熱隧道」「破獄」「光る壁画」など。もう少し歴史モノに傾倒した、「漂流」「間宮林蔵」「長英逃亡」。そしてご自身の弟さんの最期記「冷い夏、熱い夏」など。枚挙にいとまがありません。

さて、ここまで、フィジカル面での闘いを書いてきました。

実は、それよりも大変な戦いがある、と私は思うのです。

健康的に致命傷ではない状態は、裏をかえせば、療養の自由な時間が確保できます。習作や読書にはあてられる貴重な時間と云えなくもない。

無用に、病的に、時間に追われ忙しい現代の日本に生きる我々には、まとまった時間をとれることは稀有です。

ところが、この「人間」と云うのは、不思議な生き物で。

仕事や多忙な生活であればあるほど、寸暇を惜しんで、趣味や娯楽にもめいっぱい励むことができる。仕事も含め、時間利用の効率があがる。

ところが、贅沢にも時間がありすぎると、弛緩してしまう。数多の時間を一定のモチベーションを保ち、効率的に使うことは、実は非常に難しい。

そこに病身なので、尚更、気持ちを持続、集中させることは難しいことであったろうと考えます。あり過ぎることは、「個性」を育まず、むしろ、怠惰との戦いの中、「没個性」に向かってしまう。

これ、ビジネスでも同じではないでしょうか。

時間があり過ぎたり、環境が良すぎて、競争に揉まれていないと、気づくと手遅れなような状態になっている。

器用貧乏、「何でもできます」は、実は悪で。結局、何をしているのか、何のプロか、「没個性」に陥っている。

絞り込んで、ターゲティングして、時間を有効に使い、「XXXの専門家です」「XXX屋です」と云いきること。集中することが、この無用に忙しい時代の「個性」になるのではないでしょうか。

・・・判っているけれど、勇気が必要で、中々出来ないんですね~これ・・・。

時間はないですが、健康であるのならば、弛緩、没個性の危険性をよく再認識して。

自身の個性、USPの重要性について。1ヶ月ほど、薬でぼーっとする頭で、病気⇒作家⇒効率⇒個性は、売りは・・・などと考えを巡らせていました。



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2012年11月13日火曜日

■ 終わりよければ、全てよし。 インターネット集客 株式会社レゾンデートル



  「亡国のイージス」と云う小説をご存知だろうか。


 福井晴敏の代表作にして、単なる小説の枠を超えた防衛問題をするどく喝破した、時代を表す金字塔的作品だと思う。練られた構成、超オタク的・圧倒的な知識、そして何より、三桁に届くのでは・・・と思われる根気強い推敲の痕跡。
 
 もちろん、その、テンポの良さ、展開の歯切れ、も確かなものだと思う。

 節々に感じる、そんなアホな・・・的展開や、真犯人の動機の呆れるほどの浅さなど、吹っ飛ばしてくれるのである。

 しかし、氏のその面の素晴らしさは、むしろ、処女作にして、江戸川乱歩賞をとりそこなった、「川の深さは」を読んで評価すべきであり、本人もそう思っていることだろう。

 ちなみに・・・この福井を抑えて、賞をかっさらったのは、今は亡き、野澤尚である。相手が悪い・・・。いや、そのお陰で、福井の今があると云うべきであろうか。

 さて、その面については、ファン、専門家、フリーク、が色々述べているので、私の意見などどうでもよく。

 しかし、全く注目されない、この小説の本質は何か?

 それは、男の、いや、人間の絆、だと考える。しかも、お洒落じゃなく、むしろ、泥臭く、見栄えのしない、地味な・・・。

 本人は、武器、爆発、戦争フリークで、小説家じゃねー、とのたまわっているようだが。どうして、どうして。付けたし、まとめとは到底思えない。

 むしろ、この最後の2ページのための、壮大なドラマは付け足され。そして、血を吐く推敲の雨、霰は降ったのではないだろうか。

 そうとしか思えない。素晴らしい、幕ひきである。

 大きな、地味なキャンバスが、海辺で黄昏にそまり。オッチャンと兄ちゃんが照れ合って、そして、汽笛が聴こえる。切り取られた、いや、切り取りたい、絵画はこうして生まれるのだ。

 おそらく、非凡な画家が左右の人差し指と親指で作る四角の先の風景や、写真家がファインダーを通してみる風景は、かくいうもので。一瞬にして、それを切り取り、残すのだろう。

 福井は、画家でも写真家でもない。愚直な小説家なので、この切り取りの作業のために、数百枚に及び原稿を書き上げたわけだ。

 まさしく、終わりよければ、全てよし。の典型のように考えている。



 ちなみに、映画では、この大事なラストシーンが改作されていて、マジメに監督だけでなく、プロデューサー、ディレクター、脚本家、など日本の映画界の質の低下を真正面から認めざるを得ない。痛恨の大事件である、といわざるを得ない。

 だから、小説を原作に持つ映画は観たくない。(でも、観るのだけれど。アホだから、淡い期待しちゃって)

 映画は、0(ゼロ)から、監督と脚本家の紡ぎだす血の糸の結晶であって、その原木を他人に求めること自体、「悪」で。
求める限りは、忠実に再現すべし。生半可な才で、いじくる資格はないはずだ。しかし、アホほど、弄りたくなるのであろう。最近では、「白夜行」の悲惨も記憶に新しく、しかし、「手紙」は及第点で、むしろ映画の方が・・・ぶつぶつ、くどくど・・・。



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2012年11月7日水曜日

■渡辺淳一と云う作家 インターネット集客 株式会社レゾンデートル

このごころついたら、既に、売れっ子作家だった。

マスコミへの露出度、かもし出す雰囲気。

「ノリ」のいい方。頭、考え方の軟らかい方だと思う。

それは、以下、オフィシャルブログ、柔軟な取り組みからもみてとれる。
日経新聞に連載している、シニア応援エッセイでの磊落な意見からも、そう感じる。

悪い言い方をすれば、脇が甘い。

だから、アホ編集者の悪ノリにのってしまう。悪気はないのだ。でなければ、「失楽園」などという題名をつけるという愚行には出まい。

ご本人は、裏表のない方なのだと思う。

毀誉褒貶甚だしく、また、無頓着ともいえる、厳しい言動。その作風に似合わず、ギャップを、気骨を感じる。

改めて、中学生の頃から、つまみ食いのように、読んだ本は、何だかんだ云いながら、20を超えている。

全く作風は違うが、赤川次郎、星新一、西村寿行、森村誠一、などなど、単行本の価格だけの値打ちを保持し、期待を下回らず、そして上回らず。

おそらくは、 個人的に、読み初めが早すぎて、その良さが全く判らないままに、あれよあれよで30有余年。


はっきり云おう。その実績・実力を認めながらも、氏の恋愛小説、その世界観は、私には、今もって全く理解できない。

食わず嫌いでないことは、読んだ冊数が示している。そして、否定するほど酷いものが殆どないことは、その文体の確かさの証でもある。

私が、お子ちゃまなので、文章としての内容にはついてゆけても、コンテンツとしては追いつけていないし、これからも理解及ばぬのだろう。

ひょっとしたら、世の男性諸氏の殆どは、私に右にならえで女性のための文学と割り切るべきか。


しかし、氏のもうひとつの顔は、全く違う。

直木賞受賞の「光と影」。

西郷、大久保主役の幕末・薩摩の脇役的な人々に光をあてた、もうひとつの西南戦争とその後の対極の男の人生。目に見えない理不尽な力におされてゆく、構成力は圧巻。

女性諸氏を寄せつけないであろう、雄(オス)のための、雄のお話。

恋愛物、性愛物、に並行して、ポツポツと、だが、確実に描き続けている、伝記物。これが、私の好きな氏の正体である。

ともすれば、「失楽園」「化粧」「別れぬ理由」などセンセーショナルで、かつ、うまい(悪い?)マスコミのノリに迎合した作品を表とすれば、裏? の顔が好きなのだ。


その伝記物の中で、自叙伝、とされる「白夜」全5巻。

これが、私の一番好きな、「渡辺淳一」である。

青年が、人間として、殻を破るときの苦しさ、蒼さ、苦さ、切なさ、を教えてくれる。どの年代の人間が読んでも、違う角度で、意味合いで、語りかけてくるであろう。品格と質の高い文章をそなえた秀作。

また、50歳を超えて再読したい、と本棚の隅に並べている本だ。


【参照サイト】
「楽屋日記」渡辺淳一オフィシャルブログ 無茶、カジュアルなスタッフ日記

「淳平書店」 オフィシャルECサイト 面白い取り組みです


2012年11月5日月曜日

■ いいね、地場の本屋 ~新小岩~ インターネット集客 株式会社レゾンデートル



 第一書林さん JR総武線・新小岩駅・北口 駅前

新小岩 第一書林 書店


 まず申し上げたい。メインの南口に比して、北口はひなびています。その分・・・と云うより、葛飾価格だろう。駅前のそば屋の値段が安い! 天ぷらそば、限定XX食とはいえ、@¥280.-! ジュース自動販売機@¥50の群れ。

 嬉しいね~。しかし、本は、定価販売にて、あまり関係ないが。

 中は、正方形で一目で見渡せる広さ。今日は、ここ20年使っている、手帳の高橋のパーソナル@¥630.-を買うと決めていた。実は、産能、高橋などの来年版手帳は、現在、どこの書店でもコーナーを設け架橋だが、このパーソナル、人気がなくマイナーにて、ない場合が多く、毎年、見つけたらすぐ買うようにしている。

 ・・・入って右に陣取るコーナーで、あ、ありました。ただ、欲しい黄色か橙色はなく。黒、青しかなく。年末焦るのも何ですので、青を購入しました。(後日談:市ヶ谷の文教堂に全色、ふんだんに在庫がありました。来年は、ここでカラーを買おう)

 さて、最初にビジネス(経営、マーケティング、コンピュータ、など)探すと、左側、全体の20分の一程度の極小コーナーにありました。申し訳程度で品薄です。おそらく、ビジネスマンの利用は少ない。その証拠に、広さに相対的にマンガが全体5列のうち、2列を割いて品数も豊富。

 入口に2ヶ所ある、山積みコーナーは、ビジネス系と文芸系の2種・・・が相場だが、文芸・小説で全て埋まっていた。これも、主婦層と男性でも、気軽に電車内で読める本を求める層が多いのだろう。

 平日、金曜日の15時に入ったので、閑散時間ではあるのだろう。しかし・・・5列の本棚・コーナーに各々一人づつ。カウンターに2人の店員。この忙しさ、この広さでは、明らかに多いでしょう・・・ですが。

 しかし、地場本屋の応援団としては、それすらも、頑張っているんだな~と肯定してしまうわけです。

 新小岩の文化発展のために、頑張れ、第一書林!!!

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2012年11月4日日曜日

■ご存知ですか? 小説の定義は、「人間」を描くことです。



     ご存知ですか? 小説の定義は、「人間」を描くことです。

 丸谷才一さんが亡くなった。

 実は、あまり作品を読んでいない。「女さかり」を読んで、ふ~ん。と、王道の書き方と云うか、教科書通りの書き方、と云うか。お上手なり、と云う想いが残っている。この老境の作ではなく、油ののった時期に書かれたものを、機会あらば読んでみようと思う。

 亡くなった方のネガティブなお話をしても何でして。やはり、その業績と云うか、代表作(作品? ではないが)は、「文章読本」をあげる、挙げざるを得ない人は多いと思う。

 昭和の世では、現在のように、カラー、図解で手取り、足取りするビジネス書的な、その本自体、売れねばならない指名を負った本とは一線を画す、学術書の匂いのする指南書が多く排出されていた。

 文士と云う因果な稼業を目指し、かつ、それが活字を産む仕事であるのだから、読み手としても相応のトレーニングを積んでいるべきで、何もはぐはぐと甘い、よみ易い体裁、内容である必要は、ない、と私も考える。本質を淡々、粛々と綴ったもの。質の高さが重要で、それを理解、咀嚼し血肉とするのは、読み手の仕事、責任である。

 高校生から大学生当時、読みふけった指南書、全て「文章読本」と云う題名であった。同じとは捻りも芸もなく、淡々としていい。丸谷さんの他、谷崎潤一郎、井上ひさし。そのどれもが、同じ定義をしていた。

 すなわち、小説とは、人間を描くこと。  であると。

 であるならば、売れること、読まれること、もっと言い切ってしまえば、書いていることが知られていないこと・・・。隠遁にも近い環境でかかれるものこそ、本質的に小説なのではと考えることがしばしばある。

 隠遁し、出版しないものは、世間の、私の目に触れないわけで。何とか目にふれていても、多くの激賞を受けていない。そんな小説にはまるとき。何ともぞくぞくする。”発見“という嬉しさがある。

 前置きが長くなりました。今回は、隠遁までいかなくとも、お勧めの、いや、ただ私が好きな、私小説家についてお話させて頂きたい。

 まず、思い浮かぶ名前から。

 鴨長明、吉田兼好、葛西善蔵、岩野泡鳴、近松秋江、太宰治。絵画の世界にかかるが、つげ義春・忠男兄弟。林静一と歌手、あがた森魚のコラボは秀逸。

 作品の全てではないが、島崎藤村、谷崎潤一郎、志賀直哉、壇一雄。そして、永井荷風。

 さて、私小説のくくりではないが、オマージュを込めてひとり。吉村昭さん。

 綿密な取材、資料の精査に基づく、歴史小説とノンフィクション的な作品で有名であり、その作品、ほぼ全て読ませてもらっているが、お亡くなりになり残念である。

 「冷たい夏、熱い夏」と云う実の弟さんの最期を記録した作品がある。その題名の通り、暑いのではなく、熱く。そして、冷たいのである。そして、ご自身も若いころの長き闘病生活と共に、芽が出るまでの修行・修作時代の実話。「私の文学漂流」が忘れられない。

 文学を志す者だけではなく、多くの若者や人生に挫折した人にお勧めしたい。派手ではなく、地味で、ヒーローになるわけではない。それだけに現実味があり、芯に迫る。

 氏が太宰賞を受賞した際、一足先に直木賞を受賞している、妻・作家の津村節子が、静かに、しみじみと喜ぶシーンが何とも云えない。現実味があり足元から静かに湧きあがるような感動がある。

 次に、現役作家で古めかしい気品を備える才人。町田康。

 私と同郷、大阪府・堺市の生んだ才能。「くっすん大黒」「夫婦茶碗」題名からして、素晴らしい。生き方、価値観がしっかりと書き込まれた、これらの作品は、フィクションであるので、私小説ではないかもしれないが、その本質は、“私”“人間”を描ききっており、心に強く刻まれる。


 その独創性から、好き・嫌いがあり、読了にトレーニングを要するかもしれない。
 近松門左衛門、井原西鶴~太宰治、織田作之助~近松秋江~町田康、との系譜で評される。同感である。

 最後に。現役作家にして、ファンを魅了と云うか、期待通り、毎度、どうしようもなく暗くしてくれる作家。車谷長吉。彼のことを書きたくて、今回のブログの筆をとった。

 説明するに惜しい。とにかく、読んで欲しい。

 実体験しなくとも、取材・調査で擬似的に描ける、吉村さんに対し、車谷のそれは、ザ・自分の体験談。迫力と云うかおどろおどろしさが氏だけの世界を醸す。よく、死なずに作品が発表されて良かったと安堵する。また、文章の質が、どうしようもなく高い。段落の区切りが長く、トレーニングの浅い読み手には重いかもしれない。しかし、我慢・・・して読み進むうち、虜になってしまうだろう。使われている言葉、漢字、ひとつひとつに意味、役目、拘りがある。

 私の知る範囲、現存のもっとも期待を裏切らずに、どんよりさせ、深く思考・思想の深みに連れて行ってくれる、確かな作家であり、後年、昭和期の人間の生々しい思想、特に、関西圏の底流に今も昔も流れる偽りなき本質を語るに資料として読まれる格調を持つ数少ない大作家。

 作品も少ないが、各々の出版数も少ない。取り敢えず、代表作2つを挙げておく。今後、全作品を読破したい作家である。

◆塩壷の匙

◆赤目四十八瀧心中未遂



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2012年10月30日火曜日

■いやなガキ時代 インターネット集客 株式会社レゾンデートル

ものごころつくと、本が好きだった。

父系や妹にその気はなく。母系の伯父に少しその気があった。

家族の影響というより、幼少の頃から、日本地図パズルや「わたしたちの観察(小学低学年向けの科学雑誌・絶版)」などを与えられ、よく云うと、そこそこ賢く。悪く云うと、それが仇となり、大人からみると、小賢しい憎らしい小僧だったように思う。

家業は廃品回収のダンボールや新聞紙・雑誌・本を1m四方の正方形の塊にプレスして、十条製紙に卸す仕事をしていた。

アカ(銅)や鉄、アルミ、なども改修して再生する業者に卸していた。

40年ほど前の話、今考えると先端のエコな事業で、一時期は儲かっていたようだ。結果として長く続かなかったが。

小学校の高学年の頃は、放課後や夏、冬の休みによく手伝いをしていた。

参考書や小説は、買った記憶がない。超巨大な山となって、そこにあった。宝の山だ。それが目当てだった。

小学校の図書館で、世界児童全集や江戸川乱歩ものは全て、密かに読破していたが、圧倒的に山で自分で勝手に読んだ本の量が多い。

歳相応でないものが好きだった。

背伸びしていたわけではないし、将来、物書きに・・・など全く思っていない。土台、私が本を好きなことを知る人間や、読んだ本について、感想を語る人間は周辺には皆無だったから。

何故、と云われても困るのだが、10歳の頃の私は、谷崎潤一郎と北原白秋のファンで、殆ど読破していた。

もちろん、本質的な意味合いを理解したり、味わったりしていたわけではない。

やはり、一通りの児童向けの全集などなぞり、若干、物足りなさから背伸びし、一人、悦にいっていたのだろう。小賢しい・・・。

この小賢しさを証明する話は本人よりも、周辺の幼馴染がよく記憶していて、後年、逆に笑話し、昔話しとして聞かされた。本人より周辺の記憶の方が確かなところが人間の面白いところだ。

その中から、小賢しいお話を5つ。

■小学1年:教科書丸暗記事件 1学期で既に、国語の教科書をほとんど丸暗記していたらしい。「(犬の)しろ、しろ、みずたまりにうつるじぶんのかおをのぞきこんで、ぬれてしまうよ」などとそらんじて悦にいっていたらしい。生意気だ。

■小学1年: 「ちびくろサンボ」 最後は恐ろしいトラが木の周りをグルグル回って、バターになってしまうと云うほのぼのした幕切れ。皆が感動しているところに、「先生、気持ちは判ります。でも、物理的にトラはバターにはなりません」と言い放ち、皆も、「そーだ、そーだ、ブツリテキに嘘だ!」と目覚めさせ、担任の和田先生を辟易させる。憎らしい。

■小学2年:「かたあしダチョウのエルザ」 仲間を守るため、エルザはサバンナの大きな木になりました。・・・「物理的に・・・」と云いかけて担任の足立先生に1年の事件からか、「煩い!」と釘を刺される。尤もだ。

■小学3年:夏休みの自由研究で、「細雪」を全文、二百字詰め原稿用紙に写経(?)し、提出。 物議をかもす。卍や鍵、刺青でなくて、よかったと云うべきだ。何故なら、それらも好きでどれを題材にするか迷ったが、”長い”と云う理由で、細雪に。小賢しさが少し功を奏した。

そんなこんなで片腹痛く、小賢しく、成長し。中学生に。

■中学1年:授業参観にて。好きな詩を暗記し、そらで披露することが課題とされた。
迷わず、白秋を選んだ。しかも、既にそらんじていた。そのあまりの長さ、そして、大阪人の中でも早口でまくしたてた後、教室内がシーンと。母親が困ったような顔で突っ立っていた。

ご存知のように、この小賢しさ、片腹痛さ、は、おっさんの今も変っていない。困ったものだ。

白秋に敬意を表して。愛する件の詩をここに。


 ◆落葉松


からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。


からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。


からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。


からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。


からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。


からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。


からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。


世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。

2012年10月28日日曜日

■裏切られるのに離れられない作家 インターネット集客 株式会社レゾンデートル




 裏切られることが多いのに、傑作の衝撃、感動が逆トラウマになり、どうしても離れられない。そんな作家を、誰しもお持ちではないだろうか。

負けても負けても、応援を、ファンを辞められない、野球やサッカーのチーム。かような按配でしょうか。一度でも、優勝を味わったり、優勝でなくとも、強豪に快勝する快感を得てしまうと離れられないのです。

作家の場合は、多才な人に多いように思う。

 その活動のジャンルが広く、タレントとしての顔もあるような。作家のスタンス、特色が、悪く言うとない。よく言うと、色々書けて、幾度かスタイルのチャンジに挑戦している。されば、リスキーであり、期待外れの確立も高い。いい意味で裏切られ、唸る場合と、真逆に呆れて、腹立たしいことこの上ない場合と。

それでも、適度な距離を保ちながら、付き合っている。

この手の人は著名なので、その新刊を評価する評論家、識者を見分けるには、有難い。

すなわち、判らん阿呆か、私と合わない者は、何でもかんでも褒めるだけ。じゃ、お前の仕事はいらないだろう。人を、作品を酷評することは勇気がいる。しかし、それを真摯に実行できる者が評論家であり、その作家の真の味方ではないだろうか。阪神や広島のファンの自チームでの野次を聞いてみろ。その愛も仲々届かないが・・・。

しっかり自身の評をしている人に会うと得をしたような嬉しい気持ちになり、その氏の評がまた新しい道標になってゆく。

 さて、評論家ではないので、好き勝手に、悩ませてくれる主について、二人ほどお話ししてみたい。

     村上龍さん(1952年・長崎県生れ・1976年芥川賞受賞)

中学生の時、大人がワーワー囃したてている髪の毛がボサボサの冴えない、自分ではいい男だと勘違いしているらしいオッサンが、初めて見た氏だった。

   限りなく透明に近いブルー ・・・群像新人賞・芥川賞受賞作。
説明の必要があるだろうか。書き出しから素晴らしい。
中学生の私にも、その質の高さは、明白で。腕に鳥肌がたつような衝撃で、未だに忘れられない。自身の体験に基づく、青春をもてあましたジャンキーのよた話。薬とSEXと暴力と・・・そんな背景ばかりをマスコミ・大人がとりあげていた。が、本質は硬質な文章で綴られた人間の自己否定しようとしても、勝手に湧きあがる強い生への賛歌。
荒削りな文章すらも将来の可能性を髣髴とさせ、楽しみを感じさせる。
ちなみに、単行本の装丁は氏のアイデアによる登場人物のりりぃ本人の横顔の写真であることは有名。小賢しい。

     海の向こうで戦争が始まる・・・前作を知るに、大いに期待し、大いに呆れた駄作。
同じ人間書いたとは到底思えない。前作はゴーストライターの作か?
とにかく、何を云いたいのか判らない。今もって最後まで読了していない。
その価値も意味もないことは明白。嘘だと思うなら、立ち読みで数ページどうぞ。

※ 新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫) ・・・衝撃の大傑作。昭和の小説史に残すべき本。
昭和の日本人は、こういう不安を感じながら、騙しだまし、懸命に生きていたんだ、と証明する本。くしくも、後年、平成では“普通”の出来事になってしまう。
デビュー作同様、SFにも近い近未来的な背景の中に、人間の本質、悪と美を対照的にあますところなく描ききっている。
ニート? ひきもこり? 甘ちゃんの阿呆どもは、この本を読みなさい。

※ テニスボーイの憂鬱・・・賛否両論抱える話題作。多くの識者、評論家の絶賛をうける。本書をもって氏の一世一代の代表作とする識者は多い。
私自身は、その評の正しさを認めながらも、どうも馴染めない謎の一冊。
識者の評を拝借すると、人間の抱える正体の知れない不安、焦り、を一夜にして億万長者になってしまった若者の憂鬱という現象をもって抉り出している。
全くその通りだが、個人的に全体のトーン、リズム感が合わなかった。冗長かも。

     ラッフルズ・ホテル・・・今思えば、駄作放浪の旅への序曲。

     トパーズ・・・ん? 社会記者きどり?

     村上龍映画小説集・・・久しぶりに読めるかな、と思う期待作(だった)。
BOOKOFFの@¥100に現れるのを待っている状態が続く。

※五分後の世界・・・あれ、村上春樹に対抗しているの? それはちょっと・・・

     KYOKO・・・それで? でも、映画の主役、高岡早紀は、役に合っていて可愛かった。

     インザ・ミスソープ・・・あれ?

ということで、氏との蜜月も駄作の連発でほぼ終わりかに思えた。

2005年、「北朝鮮」の日本侵攻を題材にした話題作と云うことで耳目を集め、本屋に山済みで発売された本があり、(また、大げさに売りに出たか・・・)と苦々しく黙殺。その後、BOOKOFFの@¥100で見つけ、そもありなん。売れたが、すぐにお蔵入り=古本屋行きのよくあるパターンと知りつつ、何となく文庫本上下2冊を購入、自宅にストック。

※  半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫) ・・・私の中で、龍復活の書。
とにかく、最後の数ページが素晴らしい。前述の大げさな侵略譚に体裁をとり、多少、そんなアホな、が散りばめられているが。
その本質は、人間には、誰でも生まれた意味、価値があり、存在意義を見つけられる、という希望の書。
社会の屑と思われし人間の逆襲の冒険物語。
さりげなく、冷たいような演出に底流する、男の本物の友情が美しい。
結局、作者は、最後の数ページのためにこの大作を書き下ろしたのだと思う。
単純に、私は、そんな本がただ大好きなだけかもしれない。

     辻仁成さん(1959年東京生まれ・1997年芥川賞受賞)

南果歩・中山美穂の旦那。この経歴から胡散臭さがお分り頂けると思う。

     ピアニシモ・・・すばる賞受賞のデビュー作。
装丁にひかれ買った。可もなく不可もない。が、氏の才能の高さはありありと伺える。今後に期待・・・と云う意味で強く記憶されたことを覚えている。

     母なる凪と父なる時化・・・よくある親子のシリアスな叙事詩。
よくまとまっている。感動もする。が、何か物足りたい。贅沢な悩みかもしれないが、出来すぎ、なのだと思う。最初から最後まで安心して読めるが、残る感動に薄い。

     海峡の光・・・芥川上受賞作。
人間の暗部を粛々と書き上げた名作。
しかし、どうも裏があるような気がして、快哉できない。個人的には、母なる・・・の方が余程好きである。

 ※ 白仏 (文春文庫) ・・・氏の代表作というより、平成を代表する大傑作。
ようやく氏の才能が静かに爆発した快作。
日本より、むしろ、海外での評価が高い。スケール、高貴な質感、は活字に慣れの浅い日本人には重く感じるかもしれない。しかし、再読に耐え、読むごとに味わいが変る。聖書のような本。
自身のルーツに端をとると聞くが、古きよき日本の品格をあますところなく描ききった本。読んでいて、日蓮や新渡戸稲造を想起したのは私だけか。
日本に幻滅した日本人や、誤解している海外の識者に読んで欲しい。
後世、近世の日本人の質を語る資料となるべき一冊。

 冷静と情熱のあいだ・・・江國香織との表裏一体のコラボ、話題作。映画化前提。怪しい。
才能があり過ぎるのだろう。ビジネス的な前提・制約の下、こんなもんだろう、と推敲を途中で辞めたような感じがする。しかし、そこそこの質は備えている。流石で、惜しく、腹立たしい。
好みの問題だろうが、同じ制約下でも、相棒の江國のそれは、それなりに妥協のない素敵な仕上がりで2冊で完成とするべきか。


「本」は素晴らしいですね。それではまた。サヨナラ、サヨナラ、サヨウナラ。