衆議院選挙が終わった。実に、第45回という歴史の一ページは、前回とは違った、国の舵取りを意思表示して幕を閉じた。
個人的な感想を云わせてもらえば、個人的・直感的に、アンバランスでやりすぎ。しかし、一経営者・ビジネスマンの端くれの淡い期待としては、これで、保守王道、少し景気が戻ってくれまいか。
「本」に関するブログで、政治のことを語るつもりはなく。
この45回と云う歴史にそって、様々な時代、ドラマ、背景があり、脇役ながら折々の「時」の証言として、また、「本」も今に残っているのだろうと思う。
背景、世相、は違っても、本質は歴史や過去の書物、人物から学ぶことは多いこと、周知。
昭和~平成を生きた、知の巨人が今年は多く亡くなった。その先達、小林秀雄の「考えるヒント」を、想うところあり、再読した。
示唆に富んだ、また、どちらかと云うと我が道を行く、強い文体、意思表示は個人的に心地いい。また、文春文庫での、江藤淳の解説も素晴らしい。
前述、漠とした選挙結果と感想。また、あまりに低い投票率と云う国民の多くの意思表示と、民族としての稚拙さ、危うさ。かような時期に知識人の見識にひたることは決して無駄ではないと、いや、見えづらい、読みづらい、世の中だからこし、道しるべ、支え、として、かような本で語られている事の本質論は、いい「ヒント」として、効果、存在意義を増すのかもしれない。
少し硬派に語った小林について。
逆の想いが、毎度、私を覆う。
すなわち、依然として私の心の奥底にもつ、小林のイメージ=弱い印象と、力強い、孤高の文体、主義主張とのギャップの存在である。
私の持つ、氏のイメージは、ある人物の存在、眼を通してのものである。
自由奔放、社会人として破滅しているが人間として魅力的で、一部の宗教にも近い強烈な読者信者を惹きつけてやまない。
詩人・中原中也を通しての小林のイメージである。
無頼の文学者も、この変人の前には、相対的に常識人、普通の人、社会を気にする人、小さい人・・・に思えてしまう。
奪った、というべき女性、長谷川泰子を挟んで、むしろ、引け目、負い目のような想いを抱えているように見える。結局、始終、中原に振り回されても、「致し方なし」と諦め、受け入れざるを得ないような人間関係は、ともすれば、現在社会において、男女間と云わず、人間の力学的な構図において、参考になるように思えて仕方がない。
それは、決して、ドラマチック、ロマンティックなものではなく。
もっと不可解で、もっと本質的で、もっと厄介、ちんけなものとして、そこここに。
論題、争点が見えづらい、と云われた今回の選挙。
このような、人間の力学的、てこ的な力関係は、国民の心の中に、過去60年どっぷりと長すぎた歳月と、3.5年に凝縮された社会実験(概ね失敗)に何らかの作用を施したに過ぎず。
むしろ、それは、一人の女の意志や気持ちが、スッと別の男に渡っただけに過ぎない。茶飯なことのように思えてならない。
このような考える「ヒント」も、この「考えるヒント」の中には、そこかしこに見え隠れして興味深い。
年の瀬の総括。自身を取り巻く環境。次の戦略。来期・来年を考える際に、少し、深呼吸をして、この手の本を手にとることも決して無益ではないと考える。
【執筆者】成りたろう インターネット集客 株式会社レゾンデートル
インターネットで集客。ソーシャル/インバウンドマーケティングやってます!
0 件のコメント:
コメントを投稿