映画評論家がダメだ。
厳密には、雑誌社に出ているのはいいとして。
テレビに出ているのは、罪悪的にダメだ。
まぁ、あれは、広告・コマーシャルだから、金持ち映画をほめざるをえない。
仕事だからしょうがないにしても、まぁ、酷い。
だから、いい映画が、全然売れない。
何というか、選挙の投票率と同じで、映画ファンが減少する中で、売れるのは、目立つもの、アメリカもの(ハリウッドではない)、ドラマ焼き直しもの(それ「映画」じゃなくて、「ドラマ」だよね。TVでやっとけ!)ばかり。
本物は、公開していることさえ、知られていない。
「石内尋常高等小学校 花は散れども」も埋もれた感がある。
いわば、新藤兼人の自叙伝的な映画。
音羽亡きあと、主役の多くを託す、大竹しのぶと本人と思しき、売れない脚本家(豊川悦司)が恩師の定年を祝う会で再会する。
恩師の小学校教師に柄本明。
この恩師を負ぶって、豊川が浜辺を歩くシーンは、日本映画屈指の美しい場面だと感じ入った。
こういう美しいモノを、青少年に観てほしい。
大正末期、広島の悲劇をはさんで、個々にも、重いものをしょっている。
しかし、日本人は、泣き、笑いしながら、したたかに生きてきた。
この真実を、淡々と描いている。
ドラマにはドラマの軽妙で手軽なよさや、役割があり、否定しない。
映画には、映画だけが持つ、役割、使命があると思う。
一本の映画が、人の価値観をかえ、支えとなる可能性をひめている。
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