成りたろう 本 映画 切手 を語る: もう一丁、新しい新藤監督 「石内尋常高等小学校 花は散れども」

2014年11月29日土曜日

もう一丁、新しい新藤監督 「石内尋常高等小学校 花は散れども」

映画評論家がダメだ。




厳密には、雑誌社に出ているのはいいとして。


テレビに出ているのは、罪悪的にダメだ。


まぁ、あれは、広告・コマーシャルだから、金持ち映画をほめざるをえない。
仕事だからしょうがないにしても、まぁ、酷い。






だから、いい映画が、全然売れない。






何というか、選挙の投票率と同じで、映画ファンが減少する中で、売れるのは、目立つもの、アメリカもの(ハリウッドではない)、ドラマ焼き直しもの(それ「映画」じゃなくて、「ドラマ」だよね。TVでやっとけ!)ばかり。




本物は、公開していることさえ、知られていない。






「石内尋常高等小学校 花は散れども」も埋もれた感がある。











いわば、新藤兼人の自叙伝的な映画。


音羽亡きあと、主役の多くを託す、大竹しのぶと本人と思しき、売れない脚本家(豊川悦司)が恩師の定年を祝う会で再会する。




恩師の小学校教師に柄本明。




この恩師を負ぶって、豊川が浜辺を歩くシーンは、日本映画屈指の美しい場面だと感じ入った。


こういう美しいモノを、青少年に観てほしい。




大正末期、広島の悲劇をはさんで、個々にも、重いものをしょっている。


しかし、日本人は、泣き、笑いしながら、したたかに生きてきた。




この真実を、淡々と描いている。




ドラマにはドラマの軽妙で手軽なよさや、役割があり、否定しない。


映画には、映画だけが持つ、役割、使命があると思う。


一本の映画が、人の価値観をかえ、支えとなる可能性をひめている。







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