ふと気づくと、全く意図せず、ここのところ、動物の名前の入った小説ばかり読んでいた。
遡ること、「象の背中」「ソロモンの犬」「震える牛」「羊の目」・・・。
本当に偶然です。
と云うことで。
象は、死ぬときに、群から離れ、仲間に背を向けて去り、一人(一頭)になって最期を迎えると云う。
人は、死が近づいたとき。
若くして、それを告知され知ったとき、どういう道を辿るのか。
どのような、背中、を、身近な者に見せるのか。
主人公は働き盛り、男盛りの48歳 で余命半年の告知をうけ、人生の終幕を自分なりに懸命に生きる話。
著者が、自身の父を叔父の最期に拂拭されて綴った。
どうしても、お涙頂戴に成りがちな、題材であるが、決して暗く、湿っぽいだけではない。
また、著者の活動から想像される、軽い、今風な、非現実的な、ええ格好しいな演出、トーンは、抑えられ(ゼロではない)、人間、男、の恥や弱さも、丁寧に書き込まれている。
筋を追う中で、私自身、少々意外なほど同調してしまい、自分であれば、誰に最後に会いにゆくか、飲みに行くか。誰に、どう遺書を書くか。
そして、様々なもの、ことにどうケジメをつけるか。
慌てず、しかし、ゆっくりもできないなか、しっかりと考え、実行できるか。
主人公の歳を過ぎているだけに、真剣に考える、いい機会になった。
主人公そのものになり、疑似体験することは、小説の醍醐味だが、今回は、いいトリガーになり、現実の自分の上で、中で、考えることができた。
考えてみれば、このトリガーを活かし、残念な告知を待つ必要はない。
家族、父母・兄弟、親友、記憶の奥にいる・ある、人、コト、モノ、を訪ねることも良いのでないだろうか。