「一瞬の夏」 沢木耕太郎 新潮文庫 を読んだ。
30年以上ぶりの再読。
当時、私は大学生だった。
大阪から上京し、大学というより東京そのものを満喫しており、バイト、サークル(スポーツ何でもの100人超の大所帯)、バンド活動にどっぷりつかっていた。
そのくせに、小説家といわず、何らか文字に関わる仕事がしたかった。
結果、就職活動では、共同通信も時事通信も全くひっかからず終わったが。
既に活字離れがささやかれていた時代において、小説は読んでいる方だと自負していた(量より質という話もあるが)。
よって、ルポライターという仕事自体、どういうものだ? という興味もあり、また、ボクシングも大好きだった。手にとるのは必然だったように思う。
今、再読すると、旧くなった表紙に時間を感じ、また、内容に時間を感じ。
あの頃を思い出す・
ユーミンやサザンの客を聴くと、その曲が発売された当時を思い出すのに似ている。
この本によって、ボクシングファンのみならず、世間にその名を知られることになった、元東洋チャンピョン、カシアス内藤。既に名伯楽として名をはせていたエディ・タウンゼント。そして、「私」こと沢木耕太郎が主役の“私ノンフョクション”である。
後に第一回新田次郎賞を受賞する、本作は、新しい活字の世界の先駆けになっただけではなく、屈折した青春とささやかな希望を見出せる人間の可能性を多くの、特に男性に影響をあたえたものと思う。
周辺が無謀と思っても、自分でもこれでいいのか? と自問しながらも進まねばならない。
引き込まれてしまう事や時間が人間にはあり。
たとえ、残念な結果に終わったとして、のちに、思い返したときに。
逃げるより、踏みとどまるより、進んだ方がよかった、と思えるのではないだろうか。
華麗で派手なものごとだけが、その対象ではない。
ビジネスも一緒だ。
不肖、私の場合、それは、この6年間。お客様のマーケティングのお手伝いをしている今がそのときかもしれない。
独立してからの時間なのかもしれない。
精魂かけて突き進むとき、それは若者だけではなく、幾つになっても大事なものだと思う。
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