成りたろう 本 映画 切手 を語る: 11月 2012

2012年11月13日火曜日

■ 終わりよければ、全てよし。 インターネット集客 株式会社レゾンデートル



  「亡国のイージス」と云う小説をご存知だろうか。


 福井晴敏の代表作にして、単なる小説の枠を超えた防衛問題をするどく喝破した、時代を表す金字塔的作品だと思う。練られた構成、超オタク的・圧倒的な知識、そして何より、三桁に届くのでは・・・と思われる根気強い推敲の痕跡。
 
 もちろん、その、テンポの良さ、展開の歯切れ、も確かなものだと思う。

 節々に感じる、そんなアホな・・・的展開や、真犯人の動機の呆れるほどの浅さなど、吹っ飛ばしてくれるのである。

 しかし、氏のその面の素晴らしさは、むしろ、処女作にして、江戸川乱歩賞をとりそこなった、「川の深さは」を読んで評価すべきであり、本人もそう思っていることだろう。

 ちなみに・・・この福井を抑えて、賞をかっさらったのは、今は亡き、野澤尚である。相手が悪い・・・。いや、そのお陰で、福井の今があると云うべきであろうか。

 さて、その面については、ファン、専門家、フリーク、が色々述べているので、私の意見などどうでもよく。

 しかし、全く注目されない、この小説の本質は何か?

 それは、男の、いや、人間の絆、だと考える。しかも、お洒落じゃなく、むしろ、泥臭く、見栄えのしない、地味な・・・。

 本人は、武器、爆発、戦争フリークで、小説家じゃねー、とのたまわっているようだが。どうして、どうして。付けたし、まとめとは到底思えない。

 むしろ、この最後の2ページのための、壮大なドラマは付け足され。そして、血を吐く推敲の雨、霰は降ったのではないだろうか。

 そうとしか思えない。素晴らしい、幕ひきである。

 大きな、地味なキャンバスが、海辺で黄昏にそまり。オッチャンと兄ちゃんが照れ合って、そして、汽笛が聴こえる。切り取られた、いや、切り取りたい、絵画はこうして生まれるのだ。

 おそらく、非凡な画家が左右の人差し指と親指で作る四角の先の風景や、写真家がファインダーを通してみる風景は、かくいうもので。一瞬にして、それを切り取り、残すのだろう。

 福井は、画家でも写真家でもない。愚直な小説家なので、この切り取りの作業のために、数百枚に及び原稿を書き上げたわけだ。

 まさしく、終わりよければ、全てよし。の典型のように考えている。



 ちなみに、映画では、この大事なラストシーンが改作されていて、マジメに監督だけでなく、プロデューサー、ディレクター、脚本家、など日本の映画界の質の低下を真正面から認めざるを得ない。痛恨の大事件である、といわざるを得ない。

 だから、小説を原作に持つ映画は観たくない。(でも、観るのだけれど。アホだから、淡い期待しちゃって)

 映画は、0(ゼロ)から、監督と脚本家の紡ぎだす血の糸の結晶であって、その原木を他人に求めること自体、「悪」で。
求める限りは、忠実に再現すべし。生半可な才で、いじくる資格はないはずだ。しかし、アホほど、弄りたくなるのであろう。最近では、「白夜行」の悲惨も記憶に新しく、しかし、「手紙」は及第点で、むしろ映画の方が・・・ぶつぶつ、くどくど・・・。



【執筆者】成りたろう 株式会社レゾンデートル
インターネットで集客・ソーシャル/インバウンドマーケティングやってます!

2012年11月7日水曜日

■渡辺淳一と云う作家 インターネット集客 株式会社レゾンデートル

このごころついたら、既に、売れっ子作家だった。

マスコミへの露出度、かもし出す雰囲気。

「ノリ」のいい方。頭、考え方の軟らかい方だと思う。

それは、以下、オフィシャルブログ、柔軟な取り組みからもみてとれる。
日経新聞に連載している、シニア応援エッセイでの磊落な意見からも、そう感じる。

悪い言い方をすれば、脇が甘い。

だから、アホ編集者の悪ノリにのってしまう。悪気はないのだ。でなければ、「失楽園」などという題名をつけるという愚行には出まい。

ご本人は、裏表のない方なのだと思う。

毀誉褒貶甚だしく、また、無頓着ともいえる、厳しい言動。その作風に似合わず、ギャップを、気骨を感じる。

改めて、中学生の頃から、つまみ食いのように、読んだ本は、何だかんだ云いながら、20を超えている。

全く作風は違うが、赤川次郎、星新一、西村寿行、森村誠一、などなど、単行本の価格だけの値打ちを保持し、期待を下回らず、そして上回らず。

おそらくは、 個人的に、読み初めが早すぎて、その良さが全く判らないままに、あれよあれよで30有余年。


はっきり云おう。その実績・実力を認めながらも、氏の恋愛小説、その世界観は、私には、今もって全く理解できない。

食わず嫌いでないことは、読んだ冊数が示している。そして、否定するほど酷いものが殆どないことは、その文体の確かさの証でもある。

私が、お子ちゃまなので、文章としての内容にはついてゆけても、コンテンツとしては追いつけていないし、これからも理解及ばぬのだろう。

ひょっとしたら、世の男性諸氏の殆どは、私に右にならえで女性のための文学と割り切るべきか。


しかし、氏のもうひとつの顔は、全く違う。

直木賞受賞の「光と影」。

西郷、大久保主役の幕末・薩摩の脇役的な人々に光をあてた、もうひとつの西南戦争とその後の対極の男の人生。目に見えない理不尽な力におされてゆく、構成力は圧巻。

女性諸氏を寄せつけないであろう、雄(オス)のための、雄のお話。

恋愛物、性愛物、に並行して、ポツポツと、だが、確実に描き続けている、伝記物。これが、私の好きな氏の正体である。

ともすれば、「失楽園」「化粧」「別れぬ理由」などセンセーショナルで、かつ、うまい(悪い?)マスコミのノリに迎合した作品を表とすれば、裏? の顔が好きなのだ。


その伝記物の中で、自叙伝、とされる「白夜」全5巻。

これが、私の一番好きな、「渡辺淳一」である。

青年が、人間として、殻を破るときの苦しさ、蒼さ、苦さ、切なさ、を教えてくれる。どの年代の人間が読んでも、違う角度で、意味合いで、語りかけてくるであろう。品格と質の高い文章をそなえた秀作。

また、50歳を超えて再読したい、と本棚の隅に並べている本だ。


【参照サイト】
「楽屋日記」渡辺淳一オフィシャルブログ 無茶、カジュアルなスタッフ日記

「淳平書店」 オフィシャルECサイト 面白い取り組みです


2012年11月5日月曜日

■ いいね、地場の本屋 ~新小岩~ インターネット集客 株式会社レゾンデートル



 第一書林さん JR総武線・新小岩駅・北口 駅前

新小岩 第一書林 書店


 まず申し上げたい。メインの南口に比して、北口はひなびています。その分・・・と云うより、葛飾価格だろう。駅前のそば屋の値段が安い! 天ぷらそば、限定XX食とはいえ、@¥280.-! ジュース自動販売機@¥50の群れ。

 嬉しいね~。しかし、本は、定価販売にて、あまり関係ないが。

 中は、正方形で一目で見渡せる広さ。今日は、ここ20年使っている、手帳の高橋のパーソナル@¥630.-を買うと決めていた。実は、産能、高橋などの来年版手帳は、現在、どこの書店でもコーナーを設け架橋だが、このパーソナル、人気がなくマイナーにて、ない場合が多く、毎年、見つけたらすぐ買うようにしている。

 ・・・入って右に陣取るコーナーで、あ、ありました。ただ、欲しい黄色か橙色はなく。黒、青しかなく。年末焦るのも何ですので、青を購入しました。(後日談:市ヶ谷の文教堂に全色、ふんだんに在庫がありました。来年は、ここでカラーを買おう)

 さて、最初にビジネス(経営、マーケティング、コンピュータ、など)探すと、左側、全体の20分の一程度の極小コーナーにありました。申し訳程度で品薄です。おそらく、ビジネスマンの利用は少ない。その証拠に、広さに相対的にマンガが全体5列のうち、2列を割いて品数も豊富。

 入口に2ヶ所ある、山積みコーナーは、ビジネス系と文芸系の2種・・・が相場だが、文芸・小説で全て埋まっていた。これも、主婦層と男性でも、気軽に電車内で読める本を求める層が多いのだろう。

 平日、金曜日の15時に入ったので、閑散時間ではあるのだろう。しかし・・・5列の本棚・コーナーに各々一人づつ。カウンターに2人の店員。この忙しさ、この広さでは、明らかに多いでしょう・・・ですが。

 しかし、地場本屋の応援団としては、それすらも、頑張っているんだな~と肯定してしまうわけです。

 新小岩の文化発展のために、頑張れ、第一書林!!!

【執筆者】成りたろう 株式会社レゾンデートル
インターネットで集客・ソーシャル/インバウンドマーケティングやってます!

2012年11月4日日曜日

■ご存知ですか? 小説の定義は、「人間」を描くことです。



     ご存知ですか? 小説の定義は、「人間」を描くことです。

 丸谷才一さんが亡くなった。

 実は、あまり作品を読んでいない。「女さかり」を読んで、ふ~ん。と、王道の書き方と云うか、教科書通りの書き方、と云うか。お上手なり、と云う想いが残っている。この老境の作ではなく、油ののった時期に書かれたものを、機会あらば読んでみようと思う。

 亡くなった方のネガティブなお話をしても何でして。やはり、その業績と云うか、代表作(作品? ではないが)は、「文章読本」をあげる、挙げざるを得ない人は多いと思う。

 昭和の世では、現在のように、カラー、図解で手取り、足取りするビジネス書的な、その本自体、売れねばならない指名を負った本とは一線を画す、学術書の匂いのする指南書が多く排出されていた。

 文士と云う因果な稼業を目指し、かつ、それが活字を産む仕事であるのだから、読み手としても相応のトレーニングを積んでいるべきで、何もはぐはぐと甘い、よみ易い体裁、内容である必要は、ない、と私も考える。本質を淡々、粛々と綴ったもの。質の高さが重要で、それを理解、咀嚼し血肉とするのは、読み手の仕事、責任である。

 高校生から大学生当時、読みふけった指南書、全て「文章読本」と云う題名であった。同じとは捻りも芸もなく、淡々としていい。丸谷さんの他、谷崎潤一郎、井上ひさし。そのどれもが、同じ定義をしていた。

 すなわち、小説とは、人間を描くこと。  であると。

 であるならば、売れること、読まれること、もっと言い切ってしまえば、書いていることが知られていないこと・・・。隠遁にも近い環境でかかれるものこそ、本質的に小説なのではと考えることがしばしばある。

 隠遁し、出版しないものは、世間の、私の目に触れないわけで。何とか目にふれていても、多くの激賞を受けていない。そんな小説にはまるとき。何ともぞくぞくする。”発見“という嬉しさがある。

 前置きが長くなりました。今回は、隠遁までいかなくとも、お勧めの、いや、ただ私が好きな、私小説家についてお話させて頂きたい。

 まず、思い浮かぶ名前から。

 鴨長明、吉田兼好、葛西善蔵、岩野泡鳴、近松秋江、太宰治。絵画の世界にかかるが、つげ義春・忠男兄弟。林静一と歌手、あがた森魚のコラボは秀逸。

 作品の全てではないが、島崎藤村、谷崎潤一郎、志賀直哉、壇一雄。そして、永井荷風。

 さて、私小説のくくりではないが、オマージュを込めてひとり。吉村昭さん。

 綿密な取材、資料の精査に基づく、歴史小説とノンフィクション的な作品で有名であり、その作品、ほぼ全て読ませてもらっているが、お亡くなりになり残念である。

 「冷たい夏、熱い夏」と云う実の弟さんの最期を記録した作品がある。その題名の通り、暑いのではなく、熱く。そして、冷たいのである。そして、ご自身も若いころの長き闘病生活と共に、芽が出るまでの修行・修作時代の実話。「私の文学漂流」が忘れられない。

 文学を志す者だけではなく、多くの若者や人生に挫折した人にお勧めしたい。派手ではなく、地味で、ヒーローになるわけではない。それだけに現実味があり、芯に迫る。

 氏が太宰賞を受賞した際、一足先に直木賞を受賞している、妻・作家の津村節子が、静かに、しみじみと喜ぶシーンが何とも云えない。現実味があり足元から静かに湧きあがるような感動がある。

 次に、現役作家で古めかしい気品を備える才人。町田康。

 私と同郷、大阪府・堺市の生んだ才能。「くっすん大黒」「夫婦茶碗」題名からして、素晴らしい。生き方、価値観がしっかりと書き込まれた、これらの作品は、フィクションであるので、私小説ではないかもしれないが、その本質は、“私”“人間”を描ききっており、心に強く刻まれる。


 その独創性から、好き・嫌いがあり、読了にトレーニングを要するかもしれない。
 近松門左衛門、井原西鶴~太宰治、織田作之助~近松秋江~町田康、との系譜で評される。同感である。

 最後に。現役作家にして、ファンを魅了と云うか、期待通り、毎度、どうしようもなく暗くしてくれる作家。車谷長吉。彼のことを書きたくて、今回のブログの筆をとった。

 説明するに惜しい。とにかく、読んで欲しい。

 実体験しなくとも、取材・調査で擬似的に描ける、吉村さんに対し、車谷のそれは、ザ・自分の体験談。迫力と云うかおどろおどろしさが氏だけの世界を醸す。よく、死なずに作品が発表されて良かったと安堵する。また、文章の質が、どうしようもなく高い。段落の区切りが長く、トレーニングの浅い読み手には重いかもしれない。しかし、我慢・・・して読み進むうち、虜になってしまうだろう。使われている言葉、漢字、ひとつひとつに意味、役目、拘りがある。

 私の知る範囲、現存のもっとも期待を裏切らずに、どんよりさせ、深く思考・思想の深みに連れて行ってくれる、確かな作家であり、後年、昭和期の人間の生々しい思想、特に、関西圏の底流に今も昔も流れる偽りなき本質を語るに資料として読まれる格調を持つ数少ない大作家。

 作品も少ないが、各々の出版数も少ない。取り敢えず、代表作2つを挙げておく。今後、全作品を読破したい作家である。

◆塩壷の匙

◆赤目四十八瀧心中未遂



【執筆者】成りたろう  株式会社レゾンデートル
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