福井晴敏の代表作にして、単なる小説の枠を超えた防衛問題をするどく喝破した、時代を表す金字塔的作品だと思う。練られた構成、超オタク的・圧倒的な知識、そして何より、三桁に届くのでは・・・と思われる根気強い推敲の痕跡。
もちろん、その、テンポの良さ、展開の歯切れ、も確かなものだと思う。
節々に感じる、そんなアホな・・・的展開や、真犯人の動機の呆れるほどの浅さなど、吹っ飛ばしてくれるのである。
しかし、氏のその面の素晴らしさは、むしろ、処女作にして、江戸川乱歩賞をとりそこなった、「川の深さは」を読んで評価すべきであり、本人もそう思っていることだろう。
ちなみに・・・この福井を抑えて、賞をかっさらったのは、今は亡き、野澤尚である。相手が悪い・・・。いや、そのお陰で、福井の今があると云うべきであろうか。
さて、その面については、ファン、専門家、フリーク、が色々述べているので、私の意見などどうでもよく。
しかし、全く注目されない、この小説の本質は何か?
それは、男の、いや、人間の絆、だと考える。しかも、お洒落じゃなく、むしろ、泥臭く、見栄えのしない、地味な・・・。
本人は、武器、爆発、戦争フリークで、小説家じゃねー、とのたまわっているようだが。どうして、どうして。付けたし、まとめとは到底思えない。
むしろ、この最後の2ページのための、壮大なドラマは付け足され。そして、血を吐く推敲の雨、霰は降ったのではないだろうか。
そうとしか思えない。素晴らしい、幕ひきである。
大きな、地味なキャンバスが、海辺で黄昏にそまり。オッチャンと兄ちゃんが照れ合って、そして、汽笛が聴こえる。切り取られた、いや、切り取りたい、絵画はこうして生まれるのだ。
おそらく、非凡な画家が左右の人差し指と親指で作る四角の先の風景や、写真家がファインダーを通してみる風景は、かくいうもので。一瞬にして、それを切り取り、残すのだろう。
福井は、画家でも写真家でもない。愚直な小説家なので、この切り取りの作業のために、数百枚に及び原稿を書き上げたわけだ。
まさしく、終わりよければ、全てよし。の典型のように考えている。
ちなみに、映画では、この大事なラストシーンが改作されていて、マジメに監督だけでなく、プロデューサー、ディレクター、脚本家、など日本の映画界の質の低下を真正面から認めざるを得ない。痛恨の大事件である、といわざるを得ない。
だから、小説を原作に持つ映画は観たくない。(でも、観るのだけれど。アホだから、淡い期待しちゃって)
映画は、0(ゼロ)から、監督と脚本家の紡ぎだす血の糸の結晶であって、その原木を他人に求めること自体、「悪」で。
求める限りは、忠実に再現すべし。生半可な才で、いじくる資格はないはずだ。しかし、アホほど、弄りたくなるのであろう。最近では、「白夜行」の悲惨も記憶に新しく、しかし、「手紙」は及第点で、むしろ映画の方が・・・ぶつぶつ、くどくど・・・。
【執筆者】成りたろう 株式会社レゾンデートル
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