ねじれた絆(赤ちゃん取り違え事件の十七年) 奥野修司 文春文庫
小説ではない。しかし、ノンフィクションのルポと云うには、熱い。
今でこそ信じられないが、高度成長期に自宅ではなく、産婦人科で出産する文化的な大変化に、管理体制が追いつかず、赤ん坊の取り違えが、相応の確率で起こっていた時期がある。
本書も、沖縄で起こった事実を丹念に記録したものである。
多くは示談で表に出ないように努めるものだが、本件は、金銭補償以上に産院の心無い機械的な対応に対する反発から、裁判まで行った、稀有な事例である。が、本質は、そこに焦点をあてたものではない。
むしろ、沖縄の戦後から返還までの時代、地域的背景を舞台に、双方の血縁、父母、当人、兄弟、と全ての係る人物を登場人物にした、物語と云うべき作品である。
よって、読み進むうち、人物に感情移入し、あたかも、小説のそれのように、心動かされたり、喜怒哀楽につきあったりする。
本件、本作品が稀有なのは、多くの事件が交換後、敢えて、互いに過去を決別するために、交信を途絶えさせて、新しい生活、生みの親への慣れ、傾倒を、半ば強制的に実施し、しかも、成功しているケースが多いことに対し、両家族が、交換後も、狭い島県の中で、親戚のように交流を続けることで、怒る悲喜こもごもがみどころになっている。しかも、厳然たる、”事実“なのだ・・・。
二人の少女は、六歳、小学校入学寸前に交換され、生みの親の元に戻る。
この家族が、一方の両親は、生みの子にも、育ての子にも、愛情を注ぎ、親としての責任をまっとうしようと努力するのに、対し、ドラマかフィクションか? と思うほど、もう一方は、特に母親が、親の自覚がなく、毎日のんだくれ、男漁り・・・。父親は、子供の面倒をみてくれ続けた、妻の長姉と懇ろに。
愛情がないわけではないが、比較すると、引け目多い環境であった。
よって、生みの親の元に戻った子は、この劣悪な環境から脱出できたため、最初、頑なだった心がとけると幸せを享受できる。
もう一方は、必死に、ダメな生みの親よりも、できる育ての親に必死ですがる。
ここに、交換は形ばかりの捻じれた親子関係が発生する。
当然、双方に言い分、気持ち、があるわけで、おさまるはずもない。
喧嘩、いがみ合いを繰り返す。
それでも、「時」と云う偉大な癒し薬は、いつしか、本当の姉妹のように、この二人を慈しみ、育て、信頼関係を構築して行くのである。
実に、17年。更に、文庫化に際し、更に、7年を経て、章を追加。
筆者は、実に、6歳から30歳まで、25年 この二人、取り巻く家族と付き合いのである。
最早、彼にとっても、一本のルポではなく、ライフワークとしての質と重みを持つに至る。
様々な登場人物の中で、最後に、この子の物語だったのか、と合点するのは、取り違えられたが、ために、まともな育ての親に出会い、その後、自身の力(もがき)、判断、によって、生みの親ではなく、育ての親にしがみつき、その育ての母への感謝と、恩返しを胸に生きる、片方の子の、壮絶な決意と、清々しいまでの成長ぶりに、暗い、本編の最後が明るく締められるのである。
それは、あたかも、逆境でも、人間は生きる権利と義務を力をもって歩いて行けることの証明のように、心に訴えかけてくる。
この子の成長によって、ルポは小説にもにた物語に昇華しているのである。