幼い頃、キム・デジュンではなく、きん・だいちゅう、としてその名は私の脳に記憶された。その後、氏のそれまでの、またその後の人生や政治活動を拝見・拝聴するにつけ、高く、尊い理想と、また深く、厳しい現実との溝や刹那を考える。
20世紀後半、アジアで最も至高の志を持ち、そして実現半ばまで戦った政治家が逝った。その事件の真相を語らないままで。
氏の志の高さはまた、根回しや周辺の者への啓蒙など、実戦・現実との乖離の歴史であったような気がしてならない。得体の知れない、未知の者への理解、歩み寄りは非常に困難で、ともすれば徒で返すような、外交的な強かさも見せられるにつけ、厳しいことは良く理解できる。しかし、氏の晴れやかな場として世論が用意した場、2000年ノーベル平和賞に、もう一方の当事者、北の指導者の名が刻され、また、ストックホルムに顔を揃える・・・このようなサプライズがあったとしたら、その後の展開やある種の乖離を少しでも埋めることに貢献できたのではないか、と。
78年には、サダトだけではなく、ベギンの名が。93年には、マンデラだけではなく、デクラークの名が。94年には、アラファトだけではなく、ペレス、ラビンの名が。
いずれにしても、ノーベル財団だけではなく、北に対する開放への理解、譲歩は・・・。甘いと云う叱咤を覚悟で、友愛・融愛の姿勢は、氏の理想と現実の無念の乖離を補う唯一の手段ではないか、と改めて想う次第である。
哀悼。
余談:ゴルバチョフは受賞しているが、エリツィンは平和賞を授与されていないわけで。もちろん超タカ派の軍人に「平和」もくそもないのかもしれないけれど・・・。
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