巨星、堕つ。
河野 多恵子 平成27年1月29日 逝去 享年88歳
本Blog連続で、訃報のコラムになってしまいました。
しかも、文学界で女流の巨星が続けて。
大阪府生まれ。西道頓堀の椎茸問屋の娘。
旧制大阪府女子専門学校(新制大阪女子大学の前身、現大阪府立大学)卒業。
1950年、丹羽文雄主宰の『文学者』同人となる。
1961年『幼児狩り』で注目され、1963年『蟹』で芥川賞を受賞する。
1989年、日本芸術院会員。
大庭みな子と共に女性初の芥川賞選考委員となり、2007年まで務めた。
谷崎潤一郎の衣鉢を継ぎ、マゾヒズム、異常性愛などを主題とする。また『谷崎文学と肯定の欲望』(1976)で読売文学賞を受賞するなど谷崎の読み手としても知られ、『谷崎文学の愉しみ』などの評論を書き継ぐほか谷崎潤一郎賞選考委員を務めた経験もある。夫は洋画家の市川泰(1925
- 2012)。
最晩年の谷崎が文京区関口台アパートという高級マンションに住んでいた時、瀬戸内晴美が同じ階にいたので河野が来て、これが谷崎先生の部屋だと教えられてドアに口づけしたら、部屋を間違えていたなどということもあった。
『男友達』を出した時、「ベッドシーンだらけだ」と批判され、計算したら20%だったので反論文を書こうとして瀬戸内に相談すると、竹西寛子にも相談したらいいと言われ、竹西は、作家としてそういうことをしていいのは三回だけ、と言ったのでやめにした。
1990年、永山則夫が日本文芸家協会に入会しようとした際反対し、「そんな人が入ってきたら、あたし、怖いわよ」と言ったとされる。
また平林たい子を高く評価し、平林たい子記念会理事長を務めた。
(WikiPedia より)
筆者が、1964年生まれ。
それより前の63年 既に、芥川賞をえて文壇の中心にいた。
作品内容は大人の世界にて、中学校の頃 作品を読み始めても、周辺に知る者がいなかったことを思いだす(単なる、マセガキでした・・・)。
多くの初期作品が、日本の読者レベルの低下により絶版になって久しい。
が、「講談社文芸文庫」で復刻したものが多く。
文庫ながら高額ではある。が、是非に、てにとることをお勧めしたい。
作品は、人間の、特に女性のエゴ、業、恐ろしさ、底をえぐりだす。
同じ女性目線の人間像でも、例えば、向田のそれは、生活臭がし、ほのぼのする場面もあろう。が、河野のそれは、どこまでも重く、暗く、救いようがない。
が故に、魅力的で、納得できる真実がそこにあると思う。
年輪をへて、益々、制作意欲旺盛なことは、日本文学界のみならず、文化、ひいては、国体そのものにとって大いなる財産である。
筆者読破の近著にて。
「後日の話」・・・おそるべき傑作。20世紀文学の資産。
「秘事」・・・個人的には、若干の衰えを感じた。それも、こちらの求めるもの、過去作品を承知の厳しい批評にて。
など、巷の書店で手に入ると思う。
是非、読破されたし。
合掌。
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