去年とは、また違った注目の的を射とめ、主催者側は笑いが止まらないことだろう。
黒田夏子さんの、「abさんご」を、本屋で山積みの文芸本、¥1,200.-で買い。ワイドショーのご指示通り、裏表紙から、横書きのそれを読んでみた。
まず、並梱された、若い頃の短編、3つのお話から。
非常に面白かった。
私見、かつ、私独特の感じ方かもしれないことをお断りして。
初めて、小川洋子の文章にふれたときの、男性に対する疎外感や、初めて河野多恵子を理解したときの、 圧倒的に完成された世界観、そう、女性的な陰な、意地悪な、それでいて、あっけらかんとした。
別の云い方だと、向田邦子の短編、「かわうそ」に出てくる女のような、狡猾な・・・。
とにかく、完成度が高く、楽しめた。
そのまま進めば、私ごときの申し上げることではないが、’70年代には、同賞を受賞していたのでは、と素直に思える高い文章力が、よく感じとれた。
いわゆる、面白かった。
ところが、
これに全く満足できず。
彼女には、50年という歳月が必要だったのだと云う。
今回は、審査員の激賞のもと、満場一致で即、決まったそうな。
バックボーン、横書き、「。」なし、冗長な言い回し、漢・かなの勝手な使い分け、などなど。
ゲージツ、ドクソーテキ、モンダイサク、なのかもしれない。
その上で、多少無理をして、読み進めると、世界に入ってゆける、やはり、確かな、高度な筆致。
でも、ですよ。
このために、50年は必要だったのでしょうか?
おそらくは、とっとと受賞して、文壇に出て、ファンに対し、確かな作品を届けるように、神はこの方に才能を与えたのに、回り道をする必要があったのでしょうか?
その答えがこれ? なのでしょうか?
そう。
感受性、芸術性、理解力、知力、人間性、その他、私の修行が足りないので理解が及ばないだけなのでしょう。
そうとしか思えない。
考えてもしょうがない。
1年寝かせて、また、来年、読んでみよう。おかしな受賞者がテレビを賑わす頃を合図に・・・。